掛川宿(かけがわしゅく、かけがわじゅく) は、東海道五十三次の26番目の宿場である。現在の静岡県掛川市の中心部であり、山内一豊が改修して棲んだことで知られる掛川城の城下町でもある。
また、駿河湾沿岸の相良(現在の牧之原市)から秋葉山(現在の浜松市天竜区春野町)を経て、信濃国へ通じる塩の道が交差している宿場でもあった。塩の道は、江戸時代以降は秋葉参詣のルートの一つとして秋葉街道とも呼ばれ、歌川広重の「東海道五十三次」には秋葉街道が分岐する大池橋より仰いだ秋葉山と参詣者の姿が描かれた。現在でも「秋葉通り」「秋葉路」などの地名がある。
宿場は表町8町、裏町4町、横町1町の計13町で構成された。これらの町名は現在でも住所、行政区分、自治区名などとして残っている。 (wikipedia・掛川宿より)]
東海道絵図は「国立国会図書館デジタルコレクション – 東海道絵図」 – 「東海道絵図. 巻第六 金屋ヨリ浜松マデ」よりダウンロードして利用しています。
元図「コマ番号 6/8」リンク
絵地図初期画面左下に「番所」(西番所)の右に「えんまん寺(圓満寺)」、「掛川城」と記述され、その右に「浄土宗 てんねん寺(天然寺)」、接続図上に「掛川札辻」(高札場)と記述され、絵地図を右スクロールすると七曲りが描かれています。その右方向に「一里塚 江戸から五十四里 京から六十六里」と葛川一里塚が表示されて、その右に逆川の馬喰橋(現、滝川橋)が描かれ、その右に「ばくろふ町(馬喰町・掛川市葛川)」、「なるたき(掛川市成滝)」、「あミだ寺(阿弥陀寺)」と記述されています。
元図「コマ番号 6/9」リンク
絵地図初期画面に「一里塚 江戸から五十五里 京から六十五里」と大池一里塚が表示され、その右に「かわだ村 」、「をいけ(掛川市大池)」と記述され、絵図を右スクロールすると「をいけ」の右上に「大池橋」が描かれ、絵地図右下に「番所」(西番所)、「えんまん寺(圓満寺)」と記述されています。
秋葉街道 鳳来寺道 経路図
(秋葉街道 | 浜松情報BOOK}より。
元図「コマ番号 6/10」リンク
絵地図初期画面に「なぐり(名栗・袋井市国本)」と記述され、そこの右に「是から掛川領」と「原野谷川」が描かれ、その右に「はらがわ(掛川市原川)」と記述されています。絵地図を右にスクロールすると「善光寺」、その右方向に垂木川に架かる「つな川ばし(綱川橋)」、「つねこ(掛川市領家)」、右端に「さわだ(掛川市沢田)」と記述されています。