東海道絵図(日坂宿)

日坂宿(にっさかしゅく、にっさかじゅく) は、東海道五十三次の25番目の宿場である。現在の静岡県掛川市日坂に当たり、東海道の三大難所(峠)の一つとされる小夜の中山の西麓に位置する。
宿場の西の入口には、事任八幡宮(ことのままはちまんぐう)を擁する。古くは入坂、西坂、新坂など様々な字で記されており、大井川の畔の金谷宿と、塩の道と交差し城下町でもある掛川宿との間にあって、規模も小さかったが、江戸時代に入って正式に五十三次に加えられて整備され、字も日坂に統一された。
東の金谷宿へ1里24町、西の掛川宿へ1里29町・伝馬役は慶長6年36件が定められ、寛永13年新伝馬人24軒、同20年さらに16件が伝馬屋敷となった。この時、古宮町も16件が伝馬屋敷となった。宿の町並みは東西6町半。宿の東を上町(本町)、西を下町といい、古宮橋から以西を古宮町という。
天保14年の家数168・人数750。本陣脇本陣は本町に1か所あり、宿役人は問屋1・年寄4・請払2・帳付5・馬指3・人足割3・同下役6が置かれた。常備人馬は100人・100疋。うち定囲い人馬は5人・5疋、臨時囲い人馬は25人・15疋。高札場は下町に1か所ある。
正徳元年の人馬賃銭の定めでは、金谷宿まで荷物1駄145文・乗掛荷人とも145文・軽尻馬1疋94文・一足1人71文、掛川宿まで荷物1駄94文・乗掛荷人とも94文・軽尻馬1疋61文・一足1人47文。天保17年、駄賃・一足賃銭とも約5割増しとなる(東海道宿村大概帳)。助郷は佐野郡15か村、城東郡14か村、榛原郡1か村の30か村、高1万2,968石余であったが、安永5諸年村困窮につき3,928石を免じ、この分城東郡13カ村を加えて43か村となった。その後城東郡金谷・岩井寺領村が免除され、代わって同郡棚草村以下7か村が加えられて48か村となった。
宿の名物は蕨餅(わらびもち)で林羅山の「丙辰紀行」にもその名がみられる。  (wikipedia・日坂宿より)

東海道絵図は「国立国会図書館デジタルコレクション – 東海道絵図」 – 「東海道絵図. 巻第六 金屋ヨリ浜松マデ」よりダウンロードして利用しています。

元図「コマ番号 6/4」リンク

絵地図接続地図部分に「一里塚 江戸から五十二里 京から六十八里」と佐夜鹿(小夜の中山)の一里塚が描かれ、その右上に「御茶屋」、「さよの中山」と記述されています。絵地図を右にスクロールすると菊川が描かれています。

元図「コマ番号 6/5」リンク

絵地図右接続地図の左に「かう志ん」、「かう志ん」は「若宮神社」と思われます。その右に逆川に架かる古宮橋が描かれ、「くわんおん(相伝寺観音堂)」と記述され、傍らに高札が描かれています。右図の「新坂 札辻」その上に「そうでん寺(相伝寺)」と記述され、この辺が下町で、逆川古宮橋その袂が下木戸になりますが、家並みはその左「かう志ん」まであったようです。右図中央の家並外れに二の曲りが描かれ、そこに赤印「あミだ堂(阿弥陀堂)」と記述されています。夜泣き石には「南無阿弥陀仏」と刻まれていたとのことで、この堂は夜泣き石を祀ったものか ? 。夜泣石の石碑は「くつかけ(沓掛)」と記述されている付近にあります。絵地図を右にスクロールすると「新田」と記述されています。

元図「コマ番号 6/6」リンク

絵地図初期設定画面左下に「本庄(掛川市本所)」、中程に「と乃がや ? (現・掛川市伊達方)」、その右に「一里塚 江戸から五十三里 京から六十七里」と伊達方一里塚が記述され、そこの右に「ぬめり川(掛川市伊達方滑川)」と記述、、絵地図を右スクロールすると「をくじら山(雄鯨山)」、「山の根に塩のさし引きあり」(塩井神社(事任八幡宮境外社))、絵図右端に「よめ田」、「めくじら山(雌鯨山)」、「道中にいてう(銀杏)の木」、「八まん(事任八幡宮)」、「かう志ん」と記述されています。
[東海道名所記(万治年間刊行)に書かれる日坂宿は読んで興味深いので下に紹介。
「新坂ハわらびもち名物なり 葛の粉にてつくり。豆の粉をまぶして旅人にすすむるに。往来の人ひだるさまぎれに蕨餅なりと思ひて。つゐに葛餅なりとハしらずかし。楽阿弥かくぞよミける
物の名も ところによるか 新坂の 蕨のもちハ よその葛餅
左のかたに山ふたつあり。鯨(おくじら)山 鯢(めくじら)山といふ。此山より碁石いづるなり。大なる木のしたに。洞あり。ほらのうちに清水あり。潮汐のさし引有といふ
左の方に八まんの宮あり
右の方に銀杏の木あり。その右は田なり。よめが田と名づく。道より五町バかり左のかたに。しうとが畑あり。これハむかし。よめあたりのつらきしうとめあり。
一畝の田を朝の間に。よめにうへさせしかば。石にこしかけてよめハ死けり。よめのこしかけ石 今にあり 塚につきて銀杏の木をしるしにうへたり。木も今 道バたにあり。しうとめハ畑に出て麻を見けるが にはがに雷なりければ影森といふ。在所ににげ入て終にいかつちにうだれて死ぬと申つたへし
くらぼねの池 左にあり なか橋 そね川」
*原文中の変体仮名は平仮名に変換
東海道名所記によれば日坂宿の名物は蕨餅なのだが、実のところ葛餅だったようだ。次に雄鯨山と雌鯨山の伝説に少しだけ触れ、続いて嫁田(よめがた)と姑畑(しゅうとがはたけ)の伝説を紹介している。今や日坂宿京方外れの街道筋にあったであろう嫁田と姑畑、嫁の腰掛石がどこにあったのかわからない。しかし東海道分間絵図を見れば、街道を挟んで「八まん めくじら山」の向かいに「よめ田有」の表記が確認できる。  (「日坂宿 – 街道の行く先へ – FC2」より)]

元図「コマ番号 6/7」リンク

絵地図初期設定画面左端に「あミだ寺(阿弥陀寺)」、右上に「そのがや(掛川市薗ケ谷)」と記述され、絵地図を右にスクロールすると「禅宗 へいあん寺」、右下に「本庄(掛川市本所)」と記述されています。

    東海道絵図(金谷宿)    東海道絵図(掛川宿)