東海道絵図(濱松宿)

浜松宿(濱松宿、はままつしゅく、はままつじゅく)は、旧東海道の宿場で、東海道五十三次の江戸から数えて29番目、京から数えて25番目にあたる。
実距離では、江戸から京との中間にあたり、名実共に関東関西の中間地域であった。遠江国敷知郡(ふちごおり)の中心にあたり、司法行政を浜松藩が取り仕切っていた。
現在の静岡県浜松市の中心部にあたり、浜松城城下町として天保年間には本陣が6軒、旅籠が94軒もあったとされる、遠江国駿河国を通じて最大の宿場であった。天竜川の右岸にもあたるが、洪水の度に川の流れが変わったこともあり、現在の川岸からは6kmほど離れている。  (wikipedia・浜松宿より)]

浜松市立中央図書館/浜松市文化遺産デジタルアーカイブ」 – 「浜松御城下絵図
[本陣杉浦助右衛門家旧蔵で、宝永年間(18世紀初頭)の製作と推測される。浜松城下と周辺の村々が描かれる。東海道の道筋や番所、高札場、寺社、町屋の家並み、一里塚等が描かれる。大手門前の高札場に複数の高札が掲げられている様子もわかる。(『浜松市文化財ブックレット8東海道を歩く』)]

東海道絵図は「国立国会図書館デジタルコレクション – 東海道絵図」 – 「東海道絵図. 巻第七 浜松ヨリ赤坂マデ」、「東海道絵図 巻第七 浜松ヨリ赤坂マデ」よりダウンロードして利用しています。

元図「コマ番号 6/17」リンク

絵地図中央右に天竜川が描かれ、右にスクロールすると「天竜川舟渡し」と記述され、その右上に「見付へ近道」、「池田」(天竜川・池田の渡し)、その先 L 字折れの手前に「むかし道」と記述され、その先に「ながも里」(長森立場)、「森下」と記述されています。

元図「コマ番号 6/18」リンク

絵地図初期設定中央に「はしば(橋羽村)」、その右に「妙おん寺(妙恩寺)」と記述され、絵地図右にスクロールすると「阿んま(安間村)」と記述され、その右の橋は安間川に架かる橋で、橋下に「是から西 濱松領」と記述されています。そこの右に「一里塚 江戸から六十里 京から六十里」と安間一里塚が表示され、一里塚右に「千坂越」と本坂通り(姫街道)追分が記述され、その右方向に「かやんば(萱場村)」、「六社大明神(六所神社)」、「中之町」(浜松市東区中野町)と記述されています。

本坂通と東海道

天竜川下流の町村界(「2-3.天竜川下流の荘園から継承された歴史的風致」より)

元図「コマ番号 6/19」リンク

絵地図左に「天神町」(浜松市中区天神町)、「せうばい寺」、中央に「うえ松」(浜松市東区植松町)、右に「此遍 ミかたが原(三方ヶ原)」と記述されています。絵地図を右端までスクロールすると「ながた(永田・現浜松市東区和田町)(参考・2-3.天竜川下流の荘園から継承された歴史的風致・2-3-10)」と記述されています。

元図「コマ番号 6/20」リンク

絵図左上、大手門通りに「浜松城」「札辻」と記述され、そこの右に「ちとくいん」、「げんちう寺(玄忠寺)」、「忍せん寺」と記述されています。絵地図を左にスクロールすると赤く馬込橋が描かれ西袂に「番所」(東木戸)、「一里塚 江戸から六十一里 京から五十九里」と馬込一里塚が表示され、その右に「天神町」と記述されています。

元図「コマ番号 7/3」リンク

絵地図左下に「薬師」、その下に「番所」(西木戸)、その右に「ほうりん寺(法林寺)」と記述され、右方向に「諏訪大明神」、「けうほう寺」、「五社大明神」、「札辻」と記述されています。

元図「コマ番号 7/4」リンク

絵地図初期画面「八まん(八幡神社)」、その下に「東わか林(浜松市南区東若林町)」と記述されています。その右上及び接続図下に「一里塚 江戸から六十二里 京から五十八里」と若林の一里塚が表示され、絵地図を右にスクロールすると「とりいなわ手(鳥居縄手)」、「薬師」、「番所」、「ほうりん寺」と記述されています。

元図「コマ番号 7/5」リンク

絵地図初期画面左上に「高つか(浜松市南区高塚町)」、「蓮池」右上に「是から濱松領」(堀江領境界石)と記述され、その右に「ぞうら(浜松市南区増楽町)」と記述され、絵地図を右にスクロールすると「わか林(浜松市南区若林町)」と記述されています。

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