伝義経首洗い井戸

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五海道其外分間延絵図並見取絵図(出典:国立博物館所蔵品統合検索システム)
戸塚宿図(拡大元画像・絵図東海道中央右方向、「領家町石橋」上方向に「義経首洗井」と記述されています。)

伝義経首洗い井戸
[旧東海道(国道467号線)沿いのかながわ信用金庫とマンションの間の小道を入っていくと、公園の片隅に伝義経首洗い井戸があります。義経は兄頼朝鎌倉を追われ奥州平泉に逃げていましたが、文治5年(1189)藤原泰衡は亡父秀衡がかくまっていた義経を攻め、ついに衣川で義経を自刃させました。平泉から鎌倉に送られてきた義経の首は、首実検の後に片瀬の浜に捨てられたといわれています。潮にのって境川をさかのぼり白旗神社付近に漂着した義経の首を里人がすくいあげ、この井戸で洗い清めたということです。一説によれば、鎌倉に入る前に首実検に備えて化粧を施したとも、また、夜間に鎌倉方面から、首が目を見開いて亀の背に乗り飛んできたとも伝えられます。  (「16-伝義経首洗い井戸 | ふじさわ宿交流館」より)]

[伝 義経首洗井戸
 源義経(鎌倉幕府の将軍源頼朝の弟)は、頼朝に追われ奥州(東北地方)に逃げていましたが、一一八九年に衣川(岩手県奥州市)で自害しました。腰越(鎌倉市)で首実検の後に浜に捨てられた義経の首は、潮にのって川をさかのぼり、里人に拾われてこの井戸で清められたと伝えられています。この絵は、歌川国芳が描いた源義経の浮世絵です。
 ここから二〇〇メートルほど来たの白旗神社は祭神として義経を祀っており、境内には、藤沢の御首と宮城県栗駒市の判官森に葬られた御骸の霊を合わせ祀った源義経公鎮霊碑などがあります。また、常光寺南側の公園には、弁慶 塚と記された石碑が祀られています。  (「伝 義経首洗井戸 – Monumento(モニュメント)」より)]

伝 義経首洗井戸 – Google Map 画像リンク」「本町公園 – Google Map 画像リンク

伝義経首洗い井戸のある、本町公園進入路西側のカメラで通路右に案内標柱があります。

伝義経首洗い井戸前のカメラです。

伝義経首洗い井戸案内板(Google Map 画像)