大仙寺

ストリートビューの初期設定位置は大仙寺山門前です。
地図上のアイコン上でマウスクリックし、アイコン移動すると、移動アイコン位置にストリートビューが存在すれば地図下のストリートビュー画面が、その位置のストリートビューに表示変更されます。また、ストリートビュー画面で移動すると地図上のアイコンも移動します。

五海道其外分間延絵図並見取絵図(出典:国立博物館所蔵品統合検索システム)
保戸ヶ谷宿図(拡大元画像・絵図東海道中央右方向、「字大仙寺前石橋」上に「大山寺」と記述されています。)

大仙寺
[大仙寺は西方山安樹院と号し、境内には七百二十五坪。円融天皇天禄(970~973)年中の起立で、往古は神戸山持院神宮寺と号し伊勢皇大神宮の別当を務めたとも言われたが、その後衰微して、星霧を経、応永(1394~1427)年中、法印鎮淳が中興し、今の山号、寺号に改めたという。寛永10(1633)年2月15日議定の関東古儀真言宗本末帳に、武州久良岐郡太田郷東福寺末寺、大仙寺、寺内御免と見えてある。参勤交代等の際、東海道を往来して保土ヶ谷宿に休泊する者は、当寺に詣で、道中安全を祈願する例があった。宿場での元本陣脇本陣、茶屋本陣等は、すべて当寺が堤寺であり、墓所は境内にある。また、米倉三俵を一度に運んだ保土ヶ谷谷宿一の女傑「力持ちお伝」の俵型の珍しい墓や女流俳人幸田南枝の墓等も史跡を訪れる人々には欠かせない名所となっている。江戸時代に「客引き神さん」と称され、商売人の信仰を集めた吉祥天女は遠く吉原花魁たちにも尊崇された。その花魁たちにより享保7(1722)年に寄進された鐘も第二次世界大戦の共出に合い失うこととなる。現在、境内にある鐘は昭和34(1959)年建立、約二百五十貫の堂々たる姿は参詣者の足を止めずにおけない。今の本堂、山門は、寛文10(1670)年2月回禄(火災)にかかり、元禄14(1701)年に再建したという。かつて宿内に法禅寺と称する同宗の寺があったが当時に合併したと云う説がある。今法禅寺辺と称するのは名残であるという。  (「高野山 大仙寺 – 寺院の紹介 | いい寺ねっと」より)]

大仙寺。横浜市保土ケ谷区霞台にある高野山真言宗寺院-猫の足あと

大仙寺ホームページ

大仙寺門扉 – Google Map 画像リンク」「大仙寺 – Google Map 画像リンク

カメラ北北東方向が大仙寺山門です。

大仙寺山門内のカメラです。

大仙寺境内のカメラです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

*