杉山大明神(鶴見神社)

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五海道其外分間延絵図並見取絵図(出典:国立博物館所蔵品統合検索システム)
鶴見村図(拡大元画像・絵図左、東海道上に「杦山明神」と記述されています。)

鶴見神社
[鶴見神社(つるみじんじゃ)は、神奈川県横浜市鶴見区(旧・武蔵国橘樹郡鶴見村)に鎮座する神社で「神紋=有職鶴」である。旧社格村社。横浜・川崎間の最古の神社とされる。杉山大明神(五十猛命)と天王宮(素盞嗚尊)の二社相殿。
鶴見神社の創建は、推古天皇の時代(7世紀初め)と伝えられる。古くは杉山大明神(杉山神社)と称された。1920年(大正9年)に、社名を鶴見神社と改めた。
1962年(昭和37年)、境内の古木が倒れた際、その根元から、弥生時代後期の土器古墳時代土師器鎌倉時代に至る祭祀遺跡が発見された。これにより、創建伝承以前から祭祀の場となっていたことが確認された。
江戸時代国学者黒川春村が『杉山神社神寿歌釋』で考証し、鎌倉時代より伝えられた神事芸能「田遊び」は、1871年(明治4年)に絶えたが、1987年(昭和62年)に再興され、現在に至る。
また、相殿の天王宮に伝わる「鶴見神社大神輿」は、横浜最古の神輿とされ、例年7月の天王祭には古式ゆかしく渡御する。この神輿は、約350年前に鶴見川の天王河原(現・潮見橋付近)に流れ着いたものと伝えられる。当時、少し上流にあった鎮守天王社(現在は川崎市幸区小倉の小倉神社)の祭礼のとき、鶴見川で神輿を洗った際に、誤って流してしまったものとされる。
社殿は、1753年(宝暦3年)に再建され、1853年(嘉永6年)には名主・佐久間権蔵が社殿を改築したという記録がある。1911年(明治44年)3月31日、火災のため社殿が全焼し、1915年(大正4年)11月に再建された。
境内地はかつて約5000坪に及び、鎌倉将軍藤原頼経が1241年(仁治2年)に参詣した際に奉納したと伝えられる(前述の古木)や富士塚(境内の奥に現存)のほか、大きな神木が茂っていた。この神木に関して、一つの伝承がある。江戸時代のこと、その神木の中でも大きな檜が人々の信仰をあつめていた。あるとき、江戸の芝居小屋の棟木にするため、このの巨木を切り倒したところ、病人が出るなど奇怪なことが続いた。そこで、この檜を伐採した跡に、これに代わる木を植えたところ、鎮まったという。
境内末社
●稲荷社(中町稲荷、上町稲荷、三家稲荷の3社) – 2月の午の日には初午祭が催行される。
富士浅間社 – 境内の奥、本殿裏に現存する富士塚の頂に鎮座する。
大鳥社 – 11月の酉の日には大鳥祭が催行され、熊手市が立つ。
●関神社
秋葉社
鶴見神社鳥居・wikipedia-photo

鶴見神社拝殿・wikipedia-photo

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鶴見神社 – Google Map 画像リンク

カメラ北北西方向が鶴見神社です。

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