脇本陣(大金子屋)跡

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五海道其外分間延絵図並見取絵図(出典:国立博物館所蔵品統合検索システム)
保戸ヶ谷宿図(拡大元画像・絵図東海道中央右方向、「く」折れ角上に「脇本陣」と記述されています。)

脇本陣跡
[本陣が混雑した際、江戸幕府の役人や大名脇本陣に休息・宿泊しました。保土ヶ谷宿には藤屋・水屋・大金子屋の 3 軒の脇本陣がありました。そのほかに茶屋本陣が 1軒ありました。  (「ようこそ 歴史と自然の街 保土ケ谷へ。 – 横浜市」より)]

脇本陣(大金子屋)跡
[天保年間の大金子屋(八郎右衛門)の規模
 建坪119坪(約396㎡) 間口6間半(約11.8m) 奥行18間(約32.7m)
 室数14 玄関付
 文化元(1804)年の記録によると旅籠と記載されており、文政(1820)年間になってから脇本陣として扱われるようになった。文政9(1827)年から飯盛女を置いたとの記録もある。  (「本陣 脇本陣 茶屋本陣 保土ヶ谷宿」より)]

カメラ北北東方向に脇本陣(大金子屋)跡案内標柱があります。

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