新宿追分

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追分
[「追分」とは街道の分岐点のことである。新宿では甲州・青梅の二つの街道が、かつてこの辺りよいY字形に分かれていた。徳川家康江戸幕府を開いたのは慶長8年(1603)であるが、翌9年、全国統制、経済交流を目的に五街道の整備を開始した。その一つ、甲州道中府中勝沼などを経て下諏訪中山道に合流するもので、三十三次の宿場が設けられた。現在の新宿通りは甲州道中の一部である。甲州道中で、現在の伊勢丹辺りから新宿一丁目の間に宿場町が開設されたのは元禄11年(1698)。内藤家の土地の一部が収公されて新たにできたため、「内藤新宿」と呼ばれ、江戸四宿の一つとして旅人で賑わった。追分には高札場があった。明治36年12月には東京市街鉄道株式会社の市内電車が追分~半蔵門間に開通。かつての宿場町の通りは、拡幅されて次第に旧態を失っていった。大正4年5月、京王帝都電鉄の前身である京王電気軌道株式会社が追分~調布間を鉄道で結んだ。京王は、甲州街道沿いに分倍河原多摩川を渡って八王子に至る路線を計画。大正2年4月、笹塚~調布間がまず開通した。現在、この辺りは昭和9年に開通した明治通りと交差し、交通量の多い所である。なお追分は通称名で、正式に地名として取り上げられたことはない。  (「新宿追分 – 新宿区観光協会|”新宿史跡・文化財” 散策マップ」より)]

新宿元標ここが追分 – Google Map 画像リンク

カメラ位置は新宿三丁目交差点で、カメラ南南西方向歩道上に内藤新宿宿追分道標モニュメントが設置されています。

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