万願寺渡し(青柳)

ストリートビューの初期設定位置は万願寺渡し(青柳)です。
地図上のアイコン上でマウスクリックし、アイコン移動すると、移動アイコン位置にストリートビューが存在すれば地図下のストリートビュー画面が、その位置のストリートビューに表示変更されます。また、ストリートビュー画面で移動すると地図上のアイコンも移動します。

万願寺渡し(青柳)
[甲州街道は長い歴史の間に、その道筋を変えています。貞享元年(1684)に日野の渡しを通る道筋に変更されるまで、開設から80年間あまり使われた道が残っています。青柳はもともとは多摩川の右岸、日野寄りに暮らしていた人たちが、洪水によって土地を失い、移り住んだ所です。慶安年間(1648〜1651)、「甲州海道」は万願寺の渡しを通る道筋になりましたが、その期間は短く、貞享元年(1684)にはさらに上流の「日野の渡し」が正式な渡しとなりました。その後も近隣住民の生活路として長い間利用されましたが、大正15年(1926)日野橋の完成とともに廃止されています。  (「ひのっこ日野宿発見」より]

[万願寺渡船場跡
 「万願寺の渡し」(谷保の渡し)は、現在の国立市谷保と日野市石田(万願寺)を結ぶ「甲州街道」の重要な渡しでした。
 この渡し場は、慶安年間(1648~1652)に開設されたといわれ、それまではここより下流の「石田の渡し」(府中市三屋~日野市石田)が使われていました。
 「甲州街道」は、慶長年間(1596~1615)に徳川家康 が開設したものであり、当初は段丘下を通っていましたが、たび重なる多摩川の洪水により、貞享元年(1684)の改修で 現在の甲州街道に近いものになったと伝えられます。 このときの改修により、渡しも上流の「日野の渡し」が使われるようになりました。
 その後、万願寺の渡しは、近隣住民の足として長い間利用されましたが、大正15年(1926)に日野橋ができたことにより廃止されました。
          平成5年3月   国立市教育委員会]

万願寺渡船場跡 – Google Map 画像リンク

カメラ西北西方向・電柱支持ワイヤー左に万願寺渡船場跡の案内板が設置されています。カメラ南西方向が日野市になります。

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *

*