長森稲荷社

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長森稲荷社
[長森稲荷社(ながもりいなりしゃ)は、神奈川県川崎市多摩区にある法華神道系の神社。神仏分離が行われた後も別當寺日蓮宗法言山安立寺によって祭祀が行われており、従って神社本庁には所属していない。境内は安立寺の開基檀越家・佐伯家の敷地で、社殿等は氏子講中である長森稲荷講によって護持されている。なお、祈願・朱印等は安立寺にて受け付けている。
江戸名所図会』及び『新編武蔵風土記稿』の記述を踏まえ、長森稲荷社では次のような縁起を定めている。
伊予国宇和島出身の相馬左仲という浪人が、元禄10年(1697年)に京の鳥羽縄手で一人の美女に出逢った。この美女は自らを「伏見藤森長森明神の眷属・渡一銀狐神である」と名乗ったという。翌11年(1698年)4月20日に再び同様の霊験を得た左仲は神告に随って江戸に赴いた。縁あって麻布日ヶ窪(現在の六本木ヒルズ辺り)の住人・中原与兵衛にこの霊験を伝えたところ与兵衛は感じるところがあり、自ら五寸ばかりの長森稲荷大明神の神体を彫刻し邸宅内に勧請した。その後、正徳5年(1715年)に左仲が没すると一子・相馬加藤次に神体が譲られたが、元文5年(1740年)11月に与兵衛の外孫(娘の子)である佐伯助五郎重真に継承される事となり、佐伯氏の氏寺である安立寺の僧・日現によって現在の地に遷座されたという。
この時から安立寺が長森稲荷社の別當寺となり、歴代住持職が別當職を兼務し今日に至っている。なお、中原与兵衛刻と伝えられる神体は安立寺庚申堂の三十番神の一として納められている。  (wikipedia・長森稲荷社より)]

江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図 」・「飯室山長者穴長森稲荷」(8-62)、「雪が坂」(8-63)
飯室山長者穴長森稲荷(拡大図)

[図会左ページに長森稲荷、右ページ中程に長者穴(生田長者穴横穴墓群)、背景の山が飯室山になります。]

雪が坂(拡大図)

[雪が坂(ゆきがさか)について、江戸名所図会には「雪が坂  飯室山の南の続きより曲折して西へ下る坂道を云う。登戸の辺りより平(たいら)村辺への通り道なり。頗る美景の地なり」とあります。  (「歴史散歩 江戸名所図会 巻之三 第八冊」より)]

長森稲荷社 – Google Map 画像リンク」、「生田長者穴横穴墓群 – Google Map 画像リンク

カメラ東北東方向が長森稲荷社で、カメラ西方向の森が飯室山になります。