[国立東京外国語大学の南側に沿って上る坂。坂名は、明治時代に現在の大学の位置に設けられてた「海軍下瀬火薬製造所」に由来する。ここには、江戸時代に江戸幕府の薬園があった。現在のグラウンドは、昔の池で、谷田川の水源となっていた。 (「北区の坂道下瀬坂|東京都北区」より)]
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 巣鴨絵図」(絵図中央に御薬園が描かれています。御薬園の右上方向に下瀬坂があることになると思います。)
「国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内場末往還其外沿革圖書. [40]貮拾壹貞」(絵図左上に無量寺、昌林寺が描かれ、その右下方向に御薬園(現在の中央卸売市場豊島市場)が描かれています。御薬園左方向、地図中央の変則四差路の下、巣鴨村の左の西ケ原村に「海軍下瀬火薬製造所」が造られ、変則四差路付近が下瀬坂になると思われます。)
「今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷 謙二(人文地理学研究室) – 首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。1896~1909年地図・染井墓地上に下瀬火薬製造所が描かれています。その下の道が下瀬坂になると思います。
マーカーは下瀬坂の坂上です。
下瀬坂上・カメラ南東方向が下瀬坂で、カメラ方向左に標識があります。
下瀬坂下・カメラ西南西方向が下瀬坂です。