不動坂

[田端駅南口から西南へ登る坂です。坂名は、かつて田端駅南口付近に石造不動明王立像が安置され、不動の滝があったことによります。この不動明王像は、明治45年(1912)5月に始まった田端駅の拡張工事により現在地付近へ移され、さらに谷田川改修工事にともない、昭和10年(1935)11月に現在地(田端3-14-1隣接地・Google Map)へ移され、田端不動尊となっています。  (「北区の坂道不動坂」より)]

[道灌山下の王子道わきに湧水があり、その脇に東灌稲荷と茶店があったという。現在の田端駅南口におりる不動坂は、鉄道のできる以前は麓まで続いており、坂の上にはお富士様とよばれる冨士浅間社、中ほどには不動が祀ってあり、滝が落ちた下に東灌森稲荷社があった。滝は、不動の滝と呼ばれたが、名主の滝と呼ばれていたという説もある。
明治初期には、不動坂の名の付く坂は「西不動坂 中不動坂ノ西ニ在リ北ニ下ル長サ五十六間広サ一間三尺下同シ 東不動坂 中不動坂ノニ在リ北ニ下ル長サ五十間広サ一間三尺 中不動坂 東西不動坂ノ間ニ在リ北ニ下ル長サ四十五間広サ同上」と3本の不動坂があった。現不動坂は、日暮里村との境界近くに付けられているので、中不動坂もしくは東不動坂が現在の不動坂に相当すると思われる。不動坂の地名はもちろん祀られた不動に由来している。
平塚春造は、道灌山周辺を詳細に記録している中で湧水とお稲荷さんのことを書いている。文頭、十字路と書いているのは現在の田端1‐15、1‐16、2‐6、2‐7に囲まれた地点で、宗湯、田端八幡宮の間で田端大通りにぶつかっている所である。田端切通しの大通りは、当時はまだなかった。また、滝野川第一小学校と渥美清のアパートはこの高台(東台という字名があった)の一角にあり、高台の端からは田端停車場を見おろすことができた。また、この段丘崖は、江戸期の地図には「崕雪頽(がけなだれ)」と記載されている。
旅行記としては、江戸後期にこの地をハイキングした十方庵敬順が次のような探訪記録を残している。
「一、武州豊嶋郡田畑村不動坂といふハ、与楽寺門前を北へ通り越て耕地の往還へ下る坂をいえり、此坂の下口(をりくち)右側に垢離場(こりば)ありて飛泉(たき)流れ落、石像の不動尊あるが斯(かく)は坂の名に呼(よべ)り、されバ此下通りの大道ハ、日暮しの下根岸筋より西は王子村飛鳥山の麓への往来たり、・・・・・」  (「富士見と富士見坂(3)の2 道灌山のディスクール(2) – 今日も …」より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 武州豊嶋郡田端村絵図面」(絵図中央右下・興楽寺上、道灌山麓道に仙元社が描かれ、その左方向に坂が描かれ、坂麓の水路際に鳥居と社殿が書き込まれ、「稲荷森」と記載されています。)

マーカーは不動坂の坂上です。

不動坂 – Google Map 画像リンク

不動坂上・カメラ北東方向が不動坂で、カメラ方向電柱右に標柱があります。

カメラ位置は田端駅南口で、カメラ南西方向階段が不動坂です。

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