[坂の名は、坂下にある与楽寺に由来しています。『東京府村誌』に「与楽寺の北西にあり、南に下る、長さ二十五間広さ一間三尺」と記されています。この坂の近くに、画家の岩田専太郎、漆芸家の堆朱楊成、鋳金家の香取秀真、文学者の芥川龍之介などが住んでいました。芥川龍之介は書簡のなかに「田端はどこへ行っても黄白い木の葉ばかりだ。夜とほると秋の匂がする」と書いています。 (「北区の坂道与楽寺坂|東京都北区 」より)]
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 根岸谷中辺絵図」(絵図中央道灌山エリアに與(与)楽寺が描かれています。)
「国立国会図書館デジタルコレクション – 武州豊嶋郡田端村絵図面」(コマ番号2/2・絵図中央右下に與楽寺が描かれています。左の道が与楽寺坂になると思います。)
マーカーは与楽寺坂の坂上です。
与楽寺坂上・カメラ南南西方向が与楽寺坂です。
与楽寺坂下付近・カメラ北方向が与楽寺坂です。