[いまはきわめてゆるやかな勾配だが、「東京府村誌」には「飛鳥山坂、本村(滝野川村)にあり 飛鳥橋の方に下る長さ一町十二間三尺、広さ三間、坂勢急なり」と記されているように都内でも有数な難所であり、荷車の後押しで手間賃をかせぐ人もいた。昔は徳川将軍家の、日光御社参の行列もここを通った。
飛鳥山花見てかえるをとめらが
道のみ坂をゆきなづみたり
太田水穂 (「北区の坂道飛鳥大坂|東京都北区」より)]
「国立国会図書館デジタルコレクション – 武州豊嶋郡王子村絵図面」(絵図右下に飛鳥山、その下に日光御成道が描かれています。飛鳥山の左に坂の印が描かれています。)
マーカーは飛鳥大坂の坂上です。
飛鳥大坂上・カメラ北北西方向が飛鳥大坂です。
飛鳥大坂下・カメラ西方向が飛鳥大坂です。