[「靖国通り」から、九段北三丁目と四丁目の間を新見附橋の方へ下る坂です。正しくは「いもあらいざか」というのだといわれています。いもあらいとは、疱瘡(ほうそう)のことを「いもがさ」とか「へも」と呼び、「疱瘡を洗う(治す)」という意味からきています。この近くに疱瘡に霊験あらたかな社でもあったのでしょうか。 (「千代田区総合ホームページ – 千代田区内の坂」より)]
[千代田区九段北三丁目と四丁目の境界にある坂で、もとは「いもあらいざか」であったが、明治時代以降には「ひとくちざか」との誤読が定着した。この付近での疱瘡神にまつわる記録は不明である。坂には録音スタジオ、一口坂スタジオがある。 (wikipedia・芋洗坂より)]
「国立国会図書館デジタルコレクション – 東都番町図」(絵図中央下方向・三番町通りと表四番町通りの間の通りが、現在の九段北三丁目と四丁目の境界になり、そこに坂が描かれています。)
「国際日本文化研究センター – 東京府武蔵国麹町区番町近傍(五千分一東京図測量原図のうち)(明治16・1883年)」(地図四つ切右上・三番町上の道が一口坂になります。)
マーカーは、一口坂(ひとくちざか) の坂上です。
一口坂上・坂右側に標柱があります。
一口坂下・カメラ南方向が一口坂です。