[霞が関三丁目の財務省と文部科学省との間の坂です。今は会計検査院の前を直線に高速4号線に突き当たりますが、昭和39年頃まではこの坂の上部が二段三段と曲折した坂が続き、その所を栄螺尻(さざえ じり)と呼んでいました。『新撰東京名所図会』には、「三年坂は潮見坂の南に隣れり、裏霞が関と三年町の間の坂なり。坂を上れば栄螺尻とす。昔此坂にて転ぶときは、三年のうちに死すという俗説より此の名起れり。又、淡路坂ともいい一に此処を陶山が関といふ。……裏霞が関と三年町の間、道路の盤曲する所を栄螺尻と呼ぶ。」とあります。また、『新編江戸志』(近藤義休撰)には「曲り曲りたる坂の名なり、亦此辺鶯多し、因て鶯谷というよし見えたり。」とあります。 (「千代田区総合ホームページ – 三年坂」より)]
「国際日本文化研究センター – 麹町永田町外櫻田繪圖(安政6・1859年)」(絵図右端中央・虎之御門左に三年坂と記述され、その先にサ々井ジリと記述されています。)
「国際日本文化研究センター – (内題)東京府武蔵国麹町皇城及永田町近傍(五千分一東京図測量原図のうち)(明治16・1883年)」(地図四つ切左下・有栖川宮邸下の下方向の道が栄螺尻になります。)
「国際日本文化研究センター – (内題)東京府武蔵国芝区南佐久間町及愛宕町近傍(五千分一東京図測量原図のうち)(明治17・1884年)(地図四つ切左上・虎ノ門左上の道が三年坂で、その左側の曲折部分が栄螺尻になります。)
マーカーは、三年坂の坂上です。
三年坂・麹町永田町外櫻田繪圖で描かれる栄螺尻の場所のカメラです。
三年坂上・カメラ東南東方向が三年坂です。
三年坂標識
三年坂下・カメラ西北西方向が三年坂です。