[「靖国通り」の九段南四丁目と五番町の境界を、日本棋院を右手に見ながら南に上る坂です。怪談「番町皿屋敷」のヒロインお菊が、髪をふり乱し、帯をひきずりながらここを通ったという伝説から、帯坂の名がつけられたといわれています。また、寛永年間(1624-1643) の外堀普請後に市ヶ谷御門へ抜ける切通しとして作られたので、切通し坂の名もあります。 (「千代田区観光協会 – 帯坂(おびざか)切通し坂(きりとおしざか) 」より)]
「国立国会図書館デジタルコレクション – 東都番町図」(絵図四つ切右下・市谷御門上に切通シ坂が描かれています。)
「国際日本文化研究センター – 東京府武蔵国麹町区番町近傍(五千分一東京図測量原図のうち)(明治16・1883年)」(地図中央右上・市ヶ谷門下に帯坂と記述されています。)
マーカーは帯坂の坂上です。
帯坂上・カメラ東方向が帯坂の標識で、カメラ北北西方向が帯坂です。
帯坂下・カメラ南南東方向が帯坂です。