淡路坂

[聖橋の南詰から神田川に沿って東に下る坂です。江戸時代、坂上西側に鈴木淡路守の屋敷があったことから、この名が呼び慣わされたのでしょう。坂上東側には太田姫稲荷神社がありましたが、鉄道線路拡幅のため昭和6年に移転し、現在は神田駿河台一丁目にあります。この神社は、太田道灌が娘の疱瘡 (いもあらい)の治癒を祈願して、山城国(京都府)一口の里の稲荷を勧請して建立し、一口稲荷と呼んだと伝えられています。このことから、この坂には一口坂の別名もあります。別名に相生坂・大坂などもありましたが、現在は神田川の向い側の坂(文京区との境界)が相生坂と呼ばれています。  (「千代田区総合ホームページ – 千代田区内の坂 – 淡路坂(あわじざか )一口坂(いもあらいざか)・相生坂(あいおいざか )・大坂(おおさか)」より)]

[千代田区神田駿河台にある坂で、淡路坂とも呼ばれる。この坂の頂上には一口稲荷(いもあらいいなり)があり、慶安年間には若林兼次という武士が子供のころに重症の痘瘡に罹ったが、祖母がこの稲荷に三七日のあいだ祈り続けたところ、満願の日に疱瘡がとれたと伝わる。  (wikipedia・芋洗坂より)]

[千代田区
 この坂を淡路坂といいます。この坂には、相生坂、大坂、一口坂などの別名もあります。坂上に太田姫稲荷、道をはさんで鈴木淡路守の屋敷があり、これが町名・坂名の由来といわれます。一口坂は、太田姫稲荷が一口稲荷と称したためです。  (「淡路坂 – Monumento(モニュメント)」より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 駿河台小川町絵図」(絵図四つ切左下・太田姫稲荷と昌平橋の間にアワジサカが描かれています。)

マーカーは淡路坂の坂上です。

淡路坂上・カメラ東北東方向が淡路坂で、坂左に淡路坂の標柱があります。

淡路坂下・カメラ北西方向が淡路坂で、坂右・高架下壁際に淡路坂の標柱があります。

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