鍋割坂

[隼町国立劇場の北側を「内堀通り」から西に上り、ほぼ半ばからまた西に下る坂です。『御府内沿革図書』の図では、延宝元年の図には明示されていません。天保6年(1835)~文久元年(1861)の各図には、堀側から平河天満宮のわきに向かって一直線に通じています。その後、町筋の変動によって現在のようになったと考えられます。坂の名の由来は、鍋を伏せたような台地につくられた切り通しなので、この名が起こったといわれています。  (「千代田区総合ホームページ – 千代田区内の坂 – 鍋割坂(なべわりざか)」より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内往還其外沿革図書. 四」(コマ番号25/87が延宝元年の図、コマ番号26/87~38/87が天保6年から文久元年までの平河天満宮周辺の各図です。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 外桜田永田町絵図」[絵図四つ切左上・定火消御役屋敷と松平兵部大輔上屋敷の間が鍋割坂です。)

マーカーは鍋割坂の中央の坂上です。

鍋割坂 – Google Map 画像リンク

鍋割坂下(西)・カメラ東北東方向が鍋割坂です。

鍋割坂(中央頂上)

鍋割坂下(東)・カメラ西方向が鍋割坂です。

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