霞ヶ関坂

[霞が関二丁目の人事院外務省の間を西から東へ下る坂です。現在では霞が関一丁目に続く所は、傾斜が見られませんが、昭和初期の地図でも日比谷公園に突き当たる直線道路で、すぐ南側の潮見坂と並んで、長い傾斜をもっていたものと思われます。中世の頃、この辺りに関所が置かれていたことから名が起こり、江戸時代には広壮な大名屋敷が建ち並んで、錦絵にもよく描かれています。霞が関ゆかりの名も、現在では中央官庁街の代名詞に使われています。  (「千代田区総合ホームページ – 千代田区内の坂 – 霞が関坂(かすみがせきざか)」より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 外桜田永田町絵図」[絵図四つ切右上・松平美濃守屋敷(福岡藩黒田家上屋敷跡)の上に霞ヶ関と記述されています。]

国際日本文化研究センター – (内題)東京府武蔵国麹町皇城及永田町近傍(五千分一東京図測量原図のうち)(明治16・1883年)」(地図下、外務省上の道が階段坂に描かれています。そこが霞ヶ関坂です。)

/江戸坂見聞録/霞が関坂」、「森川和夫:廣重の風景版画の研究(1)58

マーカーは霞ヶ関坂の坂上です。

霞が関坂 – Google Map 画像リンク

霞ヶ関坂上・カメラ南東方向が霞ヶ関坂で、坂右に標柱があります。

霞ヶ関坂下・カメラ北西方向が霞ヶ関坂です。

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