[真島町の大きな敷地の横に、「あかぢ坂」という、ちょっと変わった名前の坂がある。漢字だと「明治坂」坂の上に「ヂエモン」の屋敷があった。明治の大財閥、渡辺家の屋敷だ。初代が明石屋治右衛門と言ったので略して「明治(あかぢ)」と言うわけだ。明治の土地長者は岩崎家、三井家、峯島家(尾張銀行経営)、阿部家(旧福山藩主)と続くが渡辺家は堂々五番目であの安田財閥の安田善次郎より上位である。明治10年、九代目が銀行を設立した。渡辺銀行である。この渡辺銀行が昭和初期の金融恐慌で倒産した。根津や千駄木、谷中では損害を被った人が続出した。人は皮肉って「赤字坂」という。 「あかじ坂」の坂下角に、外国人ばかりが宿泊する変わった旅館「澤の屋」がある。 (「谷中三崎町 – DTI」より)]
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 本郷湯島絵図」(絵図四つ切右下・三浦備後守下屋敷が描かれ、その下に領玄寺が描かれています。三浦備後守下屋敷は明石屋治右衛門がそのまま買取り、領玄寺から上方向と境界右方向に新道をつくり、右方向の道が真鳥坂と呼ばれ、上方向の道はあかぢ坂と称されています。)
マーカーはあかぢ坂の坂上です。
あかぢ坂上・カメラ南西方向があかぢ坂です。
あかぢ坂下・カメラ東北東方向があかぢ坂です。