御殿坂

[JR日暮里駅北口から西に向かって上る坂。坂の北側(荒川区)は 本行寺経王寺,南側(台東区)は谷中の墓地
坂の特徴
坂の方向  西南西に向かって上り
長さ  180m
傾斜  緩やか(高低差3m,平均斜度1度)
形態  僅かに左に曲がりながら上る
 西日暮里駅近くの坂北側に台東区が,坂南側には荒川区が設置した標識がある。
 【台東区側の標識】(画像リンク)
御殿坂  ごてんざか
 文政十二年(1829)に成立した『御府内備考』には,「感応寺(天王寺)後と本行寺の間より根津坂本の方へ下る坂なり」とあるが,「根岸」の誤写の可能性がある。明治五年『東京府志料』には,長さ十五間(約27.3メートル) 幅二間(約3.6メートル)とあるが,現在の坂の長さは五十メートル以上あり,数値が一致しない。以前は,谷中への上り口に当たる急坂を「御殿坂」と呼んだが,日暮里駅やJRの線路ができた際に消滅したため,その名残である坂の上の部分をこう呼ぶようになったと考えられる。俗に御隠殿寛永寺輪王寺宮の隠居所)がこの先にあったからといわれるが,根拠は定かではない。
       平成十四年三月  台東区教育委員会
 【荒川区側の標識】(画像リンク)
御殿坂  ごてんざか
   あらかわの史跡・文化財
 西日暮里3丁目と台東区谷中7丁目の境を七面坂上から日暮里駅方面へ下る坂。 江戸時代から用いられていた呼称である。
 当時の絵図などから,天王寺(現谷中墓地)の下を通り芋坂下に続いていたことがうかがえる。
 天保九年(1838)刊の「妙めお(みょうみょう)奇談」は,寛永(1624~44)の頃,白山御殿(将軍綱吉の御殿)や小菅御殿(将軍御膳所)と同様の御殿がこのあたりにあったことにより付いたというが,坂名の由来は明確ではない。
          荒川区教育委員会  (「profile/御殿坂」より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 根岸谷中辺絵図」(絵図中央右方向・天王寺左、本行寺との間の道が御殿坂になります。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内場末往還其外沿革圖書. [33]貮拾壹元」(コマ番号6/7・絵図四つ切右上、天王寺と本行寺の間に描かれる道が御殿坂で、谷中村を抜けると、コマ番号6/7で芋坂の道と合流し、その左上方向に御隠殿が描かれています。)

今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部  谷 謙二(人文地理学研究室) – 首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。1896~1909年地図で、谷中の上、日暮里駅の下に芋坂方向に向かう道が描かれています。

マーカーは御殿坂の坂上です。

御殿坂 – Google Map 画像リンク

御殿坂上・カメラ東北東方向が御殿坂です。

カメラ北方向に【荒川区側の標識】があります。

カメラ東南東方向に【台東区側の標識】があります。

御殿坂下・カメラ南西方向が御殿坂で、坂左に御殿坂の標柱があります。

御殿坂下・カメラ位置は下御隠殿橋詰めで、カメラ南西方向が御殿坂です。

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