おいと坂

[東急目蒲線沼部駅近く、田園調布本町24番と25番の間を東上する小さな坂道。かつて、坂下に「雄井戸(おいと)」と呼ばれる井戸があり、旧中原街道を隔てて西側にあった「雌井戸(めいと)」とともに人々に親しまれてきました。『大森区史』にのせられた伝説によれば、北条時頼(ほうじょうときより)(注釈)がこの地を訪れた際、雄井、雌井の水により病をいやしたといわれています。おいと坂は、この「雄井」に由来するのでしょう。今でこそ住宅街の中のあまり目立たないまっすぐな坂道となっていますが、耕地整理によりまっすぐになるまでは、竹やぶの中の急な、曲った坂道であったと伝えられています。
(注釈)北条時頼(ほうじょうときより) 鎌倉時代中期の武将(1227年から1263年)  (「大田区ホームページ:おいと坂

[おいと坂
「大森区史」は「下沼部にある。伝えるところによれば、北条時頼行脚して中原に来た。病を得て難治であった。井戸水があって使用したところ程なく全治した。その井戸は沼部に一つ中原に一つあった。後、中原の井戸を沼部に移し雌井(めい)、雄井(おい)と称した。おいと坂 は即ち雄井戸坂 のことであろう」と記している。  (「おいと坂 – Monumento(モニュメント)」より)]

国立公文書館デジタルアーカイブ – 江戸御場絵図」(江戸御場絵図表示は南北逆になっていますので、反転表示すると見やすくなります。反転表示した絵図中央下・「下沼部」下に東光寺(東光院)が描かれています。「下沼部」の右上方向に、相州道が描かれ、東光寺(東光院)右上で、相州道右方向からのおいと坂が合流しています。)

今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部  谷 謙二(人文地理学研究室)首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。1896~1909年地図・「調布村」右、「大道通」下の道がおいと坂と思われます。

マーカーは、おいと坂の坂上です。

おいと坂上・カメラ西北西方向がおいと坂で、坂右においと坂の標柱があります。

おいと坂下・カメラ東南東方向がおいと坂で、坂右においと坂の標柱があります。

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