[多摩川園ラケットクラブの脇、田園調布一丁目26番と51番の間の坂道。坂名の由来は昭和の初めごろ、坂付近に「どりこの」という清涼飲料水を開発した医学博士が屋敷を構えたので、誰いうとなく「どりこの坂」と呼ぶようになったといわれています。それまでは、池山の坂と呼ばれていたそうです。 (「大田区ホームページ:どりこの坂」より)]
「今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷 謙二(人文地理学研究室) – 首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。1896~1909年地図・「亀甲山」右上、右方向の道がどりこの坂と思われます。
マーカーはどりこの坂の坂上です。
どりこの坂上・カメラはどりこの坂上で、坂左にどりこの坂の標柱があります。
カメラ位置はどりこの坂下手前で、カメラ方向左にどりこの坂の標柱があります。
どりこの坂下・カメラ南東方向がどりこの坂で、坂右上方向にどりこの坂の標柱があります。