八景坂

[大森駅山王口前の池上通りの坂道です。その昔、この坂上からの眺めは素晴しく、近くは大森の海岸、遠くは房総まで一望のもとに見渡すことができたといい、そこから八景坂(はっけいざか)と呼ばれるようになったといわれています。また、昔は相当の急坂で、雨水が流れるたびに坂が掘られて薬研(やげん)のようになったため、薬研坂と呼ばれたともいわれます。天祖神社の石段横に八景碑があり、それに「笠島夜雨、鮫州晴嵐、大森暮雪、羽田帰帆、六郷夕照、大井落雁、袖浦秋月、池上晩鐘」と八勝景が刻まれています。また、かつての坂上には、平安時代後期の武将、源義家(みなもとのよしいえ)(1039年~1106年)が東征のおり鎧をかけたと伝わる鎧掛松があり、安藤広重浮世絵にも描かれました。八景坂鎧掛松は有名でしたが、明治時代に枯れてしまったといわれています。区指定文化財。  (「大田区ホームページ:八景坂」より)]

国立公文書館デジタルアーカイブ – 江戸御場絵図」(江戸御場絵図表示は南北逆になっていますので、反転表示すると見やすくなります。反転表示した絵図四つ切右下・「品川筋 御場 六郷領 不入計村」に字八景坂が描かれています。)

今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部  谷 謙二(人文地理学研究室)首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。1896~1909年地図・「入新井村」上に八景坂と記述されています。

[名所江戸百景・八景坂鎧掛松(現在のJR大森駅西口付近)ファイル:100_views_edo_026.jpg]

江戸名所図会」・八景坂鎧掛松

江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「八景坂鎧掛松」(4-45)、「鎧掛松解説・左ページ2行目から」(4-44)

マーカーは八景坂の坂上です。

八景坂上・カメラ南南西方向が八景坂です。

天祖神社前・カメラ西北西方向階段上が天祖神社です。

八景坂下・カメラ北北東方向が八景坂です。

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