大久保坂

[夫婦坂へ抜けるバス通りから、上池台五丁目17番と18番の間を東へ上る坂道、これが大久保坂です。この付近に昔大久保氏の屋敷があったことから名づけられたといわれています。この坂道は、昭和初期に行われた耕地整理によりできた坂道です。  (「大田区ホームページ:大久保坂」より)]

今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部  谷 謙二(人文地理学研究室) – 首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。1896~1909年地図に洗足池が描かれています、その右下、小池の右上方向、寺郷の左下の二又道右が夫婦坂で、その下から下方向、小池から続く二筋の道の下の道までが貝塚坂と思われます。二筋の上の道に庄屋坂、下の道に鸛の巣坂があり、その道、右方向に昭和になって出来る道に稲荷坂があることになると思います。同じ時期、稲荷坂下に出来る道に大久保坂があることになります。

マーカーは大久保坂の坂上です。

大久保坂上・カメラ西南西方向が大久保坂で、坂左に標識柱があります。

大久保坂下・カメラ東南東方向が大久保坂で、坂右に大久保坂の標識柱があります。

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