[田園調布五丁目26番と27番の間から、きつい坂が上がっています。急な大きい坂道であるため急坂と呼ばれています。「五丁目の急坂」とも呼ばれて親しまれ、この付近の目標にもなっています。大正末期に行われた耕地整理によりできた坂道ですが、自然発生的にこの名で呼ばれ始めたのは戦後のことです。 (「大田区ホームページ:急坂」より)]
「国立公文書館デジタルアーカイブ – 江戸御場絵図」(江戸御場絵図表示は南北逆になっていますので、反転表示すると見やすくなります。反転表示した絵図四つ切右下・「上沼部」の下に照善寺と八幡社(田園調布八幡神社)が描かれています。「上沼部」の上の道が急坂と思われます。)
「今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷 謙二(人文地理学研究室) – 首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。1896~1909年地図・「庵谷」と「新里」の間に描かれる鳥居は田園調布八幡神社で、「卍」は照善寺です。田園調布八幡神社上の道が急坂になると思われます。
マーカーは急坂の坂下です。
急坂中
急坂下・カメラ東北東方向が急坂で、坂右に急坂の標柱があります。