[上池台五丁目31番の中谷駐在所前よりカーブしながら上る坂道。『新編武蔵風土記稿(しんぺんむさしふどきこう)』の林昌寺(りんしょうじ)の項に「境内墓所の側に坂あり、猿坂と呼、昔山林茂りて猿多く住せし故是名あり。」と記されています。昔、子安八幡神社、林昌寺(仲池上一丁目14番)からこの猿坂にかけての台地は森林が続き、猿が多く生息していたともいわれ、坂名はそれにちなむものなのでしょう。また、この坂を通る道は、池上本門寺前から仲池上の根方(ねがた)を通り、猿坂を通って台地に上り、馬込の夫婦坂を経て荏原町に達する古い道です。 (「大田区ホームページ:猿坂」より)]
「『新編武蔵風土紀稿』によれば江戸時代、林昌寺から猿坂まで鬱そうとした森があり猿が群生していたという。この坂は「八景坂、山内の坂、猿坂」と三つしか『新編武蔵風土紀稿』に紹介されていない江戸時代の坂道である。
猿坂の登り口に小さな馬頭観音の祠(天保9年 根方邑 石工甚五郎の銘)がある。元は「上池台5-38-16」付近の道路脇に立てられていたが、品鶴線の土地買収により現在位置に移動した。昭和初期頃まで、題目講中の人たちにより大切にお参りされていた。その坂も、大正5年(1916)から昭和9年(1634)に掛けて行われた大森区耕地整理によりバス通りが出来てから、交通の主役は下のバス通り移った。
子安神社の参道入り口に「耕地整理完成記念碑」(昭和17年)があり、その頃に耕地整理が完成したことが分かる。 (「大田区の街道 猿坂を登り夫婦坂まで行く – 大田区の歴史」より)]
「簿冊標題:江戸御場絵図(文化2(1805)年)」(絵図は南方向が上になっていますので、反転して北方向を上にすると見やすくなります。反転絵図四つ切右下・「池上」の下に八幡社(子安八幡神社)、林昌寺が描かれています。林昌寺、八幡社の上の道が猿坂になると思います。
「今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷 謙二(人文地理学研究室) – 首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。1896~1909年地図・「根方」の下に描かれる鳥居が子安八幡神社、「卍」が林昌寺になります。林昌寺左の道を上方向に進み、「谷古根」方向に進む道に猿坂がある思われます。また、上方向「寺郷」下の二又道の右が夫婦坂になります。
マーカーは猿坂の坂上です。
猿坂上・カメラ西南西方向が猿坂で、坂左に猿坂の標識柱があります。
猿坂下・カメラ北東方向が猿坂で、カメラ方向右に猿坂の標識柱があります。また、坂左に猿坂の祠があります。