[夫婦坂へ抜けるバス通りから、上池台五丁目6番と16番の間を東へ上る坂道。
坂上の上池台五丁目14番の南側角地に「玉倉稲荷」という稲荷社がまつってあるため、稲荷坂と名づけられたようです。この坂道は、昭和初期に行われた耕地整理によりできたといわれています。 (「大田区ホームページ:稲荷坂(上池台)」より)]
「今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷 謙二(人文地理学研究室) – 首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。1896~1909年地図に洗足池が描かれています、その右下、小池の右上方向、寺郷の左下の二又道右が夫婦坂で、その下から下方向、小池から続く二筋の道の下の道までが貝塚坂と思われます。二筋の上の道に庄屋坂、下の道に鸛の巣坂があり、その道、右方向に昭和になって出来る道に稲荷坂があることになると思います。
マーカーは稲荷坂の坂上です。
稲荷坂上・カメラ北西方向が稲荷坂で、坂左に標柱があります。
稲荷坂下・カメラ南東方向が稲荷坂で、坂左に標識柱があります。