花抜坂

[東雪谷五丁目12番と13番の間を池雪(ちせつ)小学校脇に向けて上る坂道が花抜(はなぬき)坂です。坂名は、日蓮(にちれん)が洗足池から池上へと向かう途中、この付近に野花が美しく咲き乱れ、思わず手折ったので以来、花抜き(花の木)の地名で呼ばれるようになったという伝説に由来します。伝説のとおり、この坂は古い道で、中原街道から別れて矢口の渡しまで通じる道でした。昔は現在のようなまっすぐな坂道ではなく、曲った坂道で、両側は高い崖になっていたといい、坂下は竹やぶであったようです。  (「大田区ホームページ:花抜坂」より)]

国立公文書館デジタルアーカイブ – 江戸御場絵図」(江戸御場絵図表示は南北逆になっていますので、反転表示すると見やすくなります。反転表示した絵図四つ切右下・「池上」左上に長慶寺が描かれています。長慶寺の下道が花抜坂と思われます。)

今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部  谷 謙二(人文地理学研究室) – 首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。1896~1909年地図・「池上村」右上、「根方」の左に描かれる「卍」が長慶寺と思われます。長慶寺の左の道が花抜坂と思われます。

マーカーは花抜坂の坂上です。

花抜坂上・カメラ南東方向が花抜坂で、カメラ方向左に標柱があります。

花抜坂下・カメラ北西方向が花抜坂で、カメラ方向左・コンクリート塀前に花抜坂の標柱があります。

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