鐙坂

[南馬込四丁目4番と12番の間、馬込桜並木通り交差点の日本たばこ営業所脇から上る坂。坂名は、鎌倉時代の武将、梶原景季(かじわらのかげすえ:1162年から1200年まで)の愛馬、磨墨(するすみ)の(あぶみ)が落ちたという伝説にちなむ鐙谷の地名から名づけられました。鐙谷は臼田坂上バス停あたりから南西の低い地の一帯をいいます。坂自体は、大正13年頃に行われた耕地整理によってできたもので、それ以前は幅1メートルほどの農道でした。その農道も坂下から先は水田であったそうです。なお、磨墨伝説の磨墨塚は、南馬込三丁目19番にあります。  (「大田区ホームページ:鐙(あぶみ)坂」より)]

今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部  谷 謙二(人文地理学研究室)首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。1896~1909年地図の本門寺右上の道が鐙坂と思われます。そこの上の鳥居が中井谷熊野神社、下の鳥居は黒鶴稲荷神社になります。

マーカーは鐙坂の坂上です。

鐙坂上・カメラ南方向が鐙坂で、坂左ガードパイプそばに標柱があります。

鐙坂下・カメラ北北東方向が鐙坂で、カメラ方向右に鐙坂の標識柱があります。

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