八ッ山の坂

[品川宿のはずれ、芝高輪との境に位置する丘を「八ツ山」と呼んでいました。名前の由来については、この地に八つの岬があったので「八ツ山」と名づけたという説や、八人の諸侯の屋敷があったので「八ツ山」と名づけたという説、この地がかつての谷山(やつやま)村の一部だったことから谷山が「八ツ山」に転化したという説がありますが、いづれも定説ではありません。  この山は、江戸時代に道路整備や目黒川の洪水復旧、護岸整備のために切り崩され平地となってしまいました。  (「八ツ山の坂|品川区 – 品川区 Shinagawa City」より)]

[目黒のお不動様として親しまれている龍泉寺への参詣の道の一つで、北品川宿の清水横町(北品川1丁目)から西へ入り、御殿山から(八ッ山の坂を通り)、下大崎村袖ヶ崎(東五反田2,3丁目付近)へ、そして西五反田3丁目の徳蔵寺脇を通り、目黒川に架かる谷山橋 (ややまばし)を渡って安楽寺氷川神社の前を通って目黒不動へと至る道筋です。  (「江戸時代の道 第2回|品川区」より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 芝高輪辺絵図」(絵図中央左方向御殿山右方向、品川徒歩新宿一丁目右に谷ツ山と描かれています。この谷ツ山から左上、松平出羽守(松江藩松平家)下屋鋪があります。出羽守下屋敷の右下から上方向の道に八ッ山の坂があることになります。江戸時代の八ッ山の坂への口は品川徒歩新宿二丁目のシミズヨコ丁でテッポウサカを上り出羽守下屋敷の右下の八ッ山の坂に至ります。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内場末往還其外沿革圖書. [6]拾六下」(コマ番号4/5・絵図四つ切左下、北品川宿上に八ッ山が描かれ、上方向に松平出羽守(松江藩松平家)下屋鋪が描かれています。その下屋敷右下から上方向に坂の印が描かれています。この部分が八ッ山の坂になると思われます。江戸時代の八ッ山の坂への口は北品川宿の里俗鳥屋横丁から八ッ山の坂へ上ります。「【荏原 横町(横丁)】鳥屋横町 | 江戸町巡り」によると、八ッ山の坂への口は享保(1716~1736年)中期頃まで鳥屋文七が住んだことで「鳥屋横町」と呼ばれた。後に「清水横町」と改称。)

マーカーは八ッ山の坂の坂上です。

八ッ山の坂上・カメラ西方向が八ッ山の坂です。

カメラ南方向、バス停と表示板の間に八ッ山の坂の標識柱があります。

八ッ山坂下・カメラ東南東方向が八ッ山の坂です。

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