[相生坂
相生坂の名称は、古く江戸時代から呼ばれていた。その由来は御殿山方面から宝塔寺(東五反田一丁目)前を通る道と、この坂のある中原街道が、雉子神社(東五反田一丁目)の手前で合流していたことにもとづくとされる。昔は急坂で険しいものであったが、だんだんと道路整備がされて現在のようになった。別名を雉子ノ宮坂ともいう。
品川区教育委員会 (「相生坂 – Monumento(モニュメント)」より)]
[この相生坂は、品川台町のほうこら、雉子神社の前で左右に分かれて行くY字型の相生坂である。西の方向に行く坂は、道路改修でおそろしく変形してしまった。昔の面影はないが、『江戸名所図会』の『雉の宮』の絵を見ると、道路改修前の坂路の様子がよくわかる。この絵と寛延三年ころの江戸絵図を合わせて見ると、雉の宮わきで、二方向に別れて行く坂路が想像できる。まさしくY字形である。 (「横関英一著 – 「江戸の坂 東京の坂(全)」より)]
「江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「雉の宮」(7-43)
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 目黒白金辺図」(絵図左下・松平内蔵頭屋敷下に雉子宮・宝塔寺が描かれ、その左で路が二又に分かれています。)
マーカーは相生坂の標柱です。
相生坂上・カメラ位置は現在の相生坂上で、カメラ南西方向が相生坂です。
カメラ位置は雉子宮前で、かってはこの付近で二又に道路が別れ、それぞれが相生坂と認識されていました。
カメラ北方向に相生坂の標柱があります。
相生坂下・カメラ北北東方向が相生坂です。