大給坂

[【標識の説明】
 かつて、坂上に大給豊後守の屋敷があったことから大給坂と名づけられた。
 大給氏は、戦国時代三河国(いまの愛知県賀茂郡大給を本拠とした豪族で、後に徳川家康に仕え、明和元年(1764)、三河西尾に移封された一族である。
 現在残っている大銀杏は、大給屋敷の中にあったものである。この辺りの高台を、千駄木山といい、近くに住んだ夏目漱石は、次のようによんでいる。
 “初冬や 竹きる山の なたの音。
               (漱石1867~1916)  (「文京区の坂(6) ~ 根津・千駄木・駒込方面」より)]

マーカーは大給坂の坂上です。

大給坂上・カメラ東方向が大給坂です。

大給坂下・カメラ西方向が大給坂です。

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