庚申坂

[庚申坂(こうしんざか)
小日向第六天町の北、小石川同心町の界を東より西へ下る坂 あり・・・・・・略・・・・・・この坂を切支丹坂というは誤りなり。本名”庚申坂”昔、坂下に庚申の碑あり・・・・・・」『東京名所図会』
庚申信仰庚申(かのえさる)の日(60日ごと)人が眠る三尸(さんし)の虫が人の体から出て天にのぼり天帝にその人の罪を告げるというところから、人々は一晩中夜明かしをした。この信仰は中国から伝わり、江戸時代に盛んになった。従ってキリシタン坂はこの坂の地下鉄ガードの向側の坂のことである。
「・・・両側の藪の間を上る坂あり・・・これが真の切支丹坂 なり」『東京名所図会』
とぼとぼと老宣教師ののぼりくる
春の暮れがたの切支丹坂 (金子薫園
文京区教育委員会 昭和60年3月  (「庚申坂(こうしんざか) – Monumento(モニュメント)」より)]

[小日向台という台地があり、坂が多い。坂には「切支丹坂」・「薬罐(やかん)坂」など江戸期からの名称がついている。閑静な住宅街。石川啄木安部公房横溝正史などの旧居があった。
小説にもよく登場する。
夏目漱石『琴のそら音』「竹早町を横ぎって切支丹坂へかかる。なぜ切支丹坂と云うのか分らないが、この坂も名前に劣らぬ怪しい坂である。坂の上へ来た時、ふとせんだってここを通って「日本一急な坂、命の欲しい者は用心じゃ用心じゃ」と書いた張札が土手の横からはすに往来へ差し出ているのを滑稽だと笑った事を思い出す。今夜は笑うどころではない。命の欲しい者は用心じゃと云う文句が聖書にでもある格言のように胸に浮ぶ。坂道は暗い。滅多に下りると滑って尻餅を搗く。険呑だと八合目あたりから下を見て覘(ねらい)をつける。」 (ここの「切支丹坂」は庚申坂を指しているようだ。)  (wikipedia・小日向より)]

[切支丹坂(きりしたんざか)とは、東京都文京区に位置する坂である。
切支丹坂の場所は多数あり、どの坂が真の切支丹坂か、未だにわかっていない。
●庚申坂(こうしんざか) / 切支丹坂(きりしたんざか)
別名・切支丹坂と呼ばれている庚申坂は、昔坂下に庚申の碑があったことから名付けられた。場所は、小日向4丁目と春日2丁目の間に位置する。文京区教育委員会の坂案内板によると、「小日向第六天町の北、小石川同心町の界を東より西へ下る坂あり………略………この坂を切支丹坂というは誤りなり。本名 “庚申坂” 昔、坂下に庚申の碑あり……… (一部省略) キリシタン坂はこの坂の地下鉄ガードの向側の坂のことである。 ………両側の藪の間を上る坂あり………これが真の切支丹坂なり」と記されている。つまり文京区教育委員会によると、真の切支丹坂は東京メトロ丸ノ内線のトンネル出たところにあると記されている。しかし、天保時代の地図を見ていると今の庚申坂の坂名が「キリシタンザカ」と記されている。そのため、庚申坂が真の切支丹坂と言われている。
●文京区公認の切支丹坂
文京区教育委員会のいう切支丹坂は、小日向1丁目に位置する。この坂は、切支丹屋敷跡から一番近いため、名付けられたと思われる。この坂は、明治後半にできたと言われている。
●切絵図にある漢字で切支丹坂
嘉永七年尾張屋刊江戸切絵図「礫川牛込小日向絵図」に、漢字で「切支丹坂」と記されている。場所は小日向1丁目に位置する。
切支丹坂(江戸図、菅原茂兵衛、明和8年)・wikipedia-photo、付近にある切支丹屋敷跡の碑・wikipedia-photo  (wikipedia・切支丹坂より)]

東京都立図書館 – 東都小石川繪圖」(絵図中央左方向・変則十字路にキリシタンサカが描かれています。)

マーカーは庚申坂の坂下です。

カメラ北北西方向が庚申坂で踊り場右に庚申坂の案内標識があります。

庚申坂下・カメラ東方向階段が庚申坂です。

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