清戸坂

[延宝4年(1676年), 徳川御三家 尾張徳川家の御鷹場が、中清戸(現清瀬市) につくられた。 徳川将軍家もしばしば出かけて鷹狩りを行った。 これが現在の目白通りである。首都高速道路(5号線)護国寺出入口(護国寺側)から 目白通りに向っての広い道は、昔から“清戸道に登る坂”ということで『清戸坂』といわれた。江戸時代, この坂の北側一帯は、雑司ヶ谷村の畑(現在の雑司ヶ谷墓地)で、坂の道に沿って雑司ヶ谷清土村百姓町があった。明治10年代から坂の北側には牧場と牧舎が建ち、平田牧場と言った。 牛乳を売る小売店があり、人々が休憩した。 旗竿には、『官許の牛の乳』と假名と、ローマ字で書かれていたという。
設置者: 文京区教育委員会
設置日: 昭和62年3月

目白台上の目白通りは、江戸清戸道といった。中清戸(現清瀬市内)に御鷹場御殿があり、将軍が鷹狩に通う道が造られた。これが清戸道である。この清戸道から護国寺に下るわき道が清戸坂で、清戸道へ上る坂ということで坂名がつけられた。坂道の北側に、雑司谷清土村があったので、清土坂とも呼ばれた。
設置者: 東京都
設置日: 昭和59年3月  (「清戸坂(文京区目白台方面)」より)]

マーカーは清戸坂の坂上です。

清戸坂上・カメラ東北東方向が清戸坂です。

カメラ南方向、街路樹右に清戸坂の文京区教育委員会設置の案内板があります。

カメラ南東方向に東京都設置の標識があります。

清戸坂下・カメラ西南西方向が清戸坂です。

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