[三丁目坂(さんちょうめざか)
旧音羽三丁目から、西の方目白台に上る坂ということで三丁目坂とよばれた。
坂下の高速道路5号線の下には、かつて弦巻川が流れていて、三丁目橋(雑三橋)がかかっていた。
音羽町は江戸時代の奥女中音羽の屋敷地で、『新撰東京名所図会』は、「元禄12年護国寺の領となり町家を起せしに、享保8年之を廃し、又徳川氏より町家を再建し、その家作を奥女中音羽といへるものに与へしより町名となれり。」と記している。
文京区教育委員会
昭和53年3月 (「三丁目坂(さんちょうめざか) – Monumento(モニュメント)」より)]
「東京都立図書館 – 雜司ヶ谷音羽辺図」(絵図中央右方向・同三丁目と同四丁目境界左が三丁目坂です。)
「国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内場末往還其外沿革圖書. [26]貮拾利」(コマ番号76/163・護国寺前西青柳町から三丁目坂まで、コマ番号48/163・護国寺前西青柳町から音羽町五丁目まで、コマ番号64/163・三丁目坂から鉄炮坂まで描かれています。)
「国際日本文化研究センター – (内題)東京府武蔵国北豊嶋郡高田村近傍(五千分一東京図測量原図のうち)(明治16・1883年)」(地図四つ切右上・同四丁目左に三丁目坂と記述されています。)
マーカーは三丁目坂の坂上です。
三丁目坂上・カメラ東方向が三丁目坂です。
カメラ南方向に標識板があります。(2017年10月画像)
三丁目坂下・カメラ西南西方向が三丁目坂です。