[【標識の説明】
「御府内備考」に、「中坂は妻恋坂と天神石坂との間なれば呼び名とすといふ」とある。江戸時代には、二つの坂の中間に新しい坂ができると中坂と名づけた、したがって中坂は二つの坂より後にできた新しい坂ということになる。また、「新撰東京名所図会」には、「中坂は、天神町1町目4番地と54番地の間にあり、下谷区へ下る急坂なり、中腹に車止めあり」とあり、車の通行が禁止され歩行者専用であった。
このあたりは、江戸時代から、湯島天神(神社)の門前町として発達した盛り場で、かつては置屋・待合などが多かった。
まゐり来てとみにあかるき世なりけり
町屋の人のその人の顔かお (釈迢空) (「文京区の坂(2)湯島方面(その2)」より)]
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 本郷湯島絵図」(絵図四つ切左下・湯島天神左に「中サカ」と記述されています。)
「国際日本文化研究センター – (内題)東京府武蔵国本郷区本郷元富士町近傍(五千分一東京図測量原図のうち)(明治16・1883年)」(地図下右端・湯島天神町一丁目右下に中坂と記述されています。)
マーカーは中(仲)坂の坂上です。
中(仲)坂上・カメラ東方向が中(仲)坂です。
中(仲)坂下・カメラ位置は湯島中坂下交差点で、カメラ西北西方向が中(仲)坂です。