[傘谷坂(からかさだにざか、かさだにざか)
【傘谷坂 – からかさ(かさ)だに
傘谷をはさんで、向き合う二つの坂をいう。改選江戸志という書物によると、傘谷は、金助町(旧町名)の北の方にあって、傘づくりの職人が多く住んでいた窪地である。それで傘谷、傘坂の名がついた。
金助町に生まれた歌人・岡麓は、大正12年の関東大震災で家が焼け、その焼け跡で、
”あさはかに 家居移しし 悔心 このやけあとに 立ちて嘆かゆ”とよんだ。 (「傘谷坂 – からかさ(かさ)だに – Monumento(モニュメント)」より)]
[本郷三丁目22と湯島二丁目17の間の坂。サッカーミュージアムの前を南北に通っている坂。
ぶんきょうの坂道には、「湯島二丁目の11と12の間あたりがくぼんでいて、ここを笠谷と呼んだ。そのくぼみに、南北から坂道ができて、その両方の坂を傘谷坂と呼んだ。」とあります。 (「093:傘谷坂【文京区】 | 東京坂巡り」より)]
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 本郷湯島絵図」(絵図四つ切左下に霊雲寺が描かれています。霊雲寺左道を上に進むと、次の辻が傘谷坂の坂上になります。)
「国際日本文化研究センター – (内題)東京府武蔵国神田区駿河台及本郷区湯嶋近傍(五千分一東京図測量原図のうち)(明治16・1883年)」(地図中央上・東京女子師範学校上角、そこから上方向、谷に向かって下り、谷下からさらに上る坂が傘谷坂です。)
マーカーは傘谷坂の坂上(北)です。
傘谷坂上(北)・カメラ南方向が傘谷坂です。
傘谷坂下・カメラ北、南方向が傘谷坂です。(本郷三丁目22と湯島二丁目17の間)
カメラ西南西方向に傘谷坂の案内標識があります。
傘谷坂上(南)・カメラ北北東方向が傘谷坂です。