[坂の途中に善光寺があるので、寺の名をとって坂名とした。善光寺は慶長7年(1602)の創建と伝えられ、伝通院(徳川将軍家の菩提寺)の塔頭で、縁受院と称した。明治17年(1884)に善光寺と改称し、信州の善光寺の分院と なった。したがって明治時代の新しい坂名である。坂上の歩道のまん中に椋の老木がある。古来、この木には、坂の北側にある稲荷に祀られている、澤蔵司の魂が宿るといわれている。なお、坂上の慈眼院の境内には礫川や小石川の地名に因む松尾芭蕉翁の句碑が建立されている。
“一しぐれ 礫や降りて 小石川” はせを(芭蕉)
また、この界隈には幸田露伴(1867~1947)・徳田秋声(1871~1943)や島木赤彦(1876~1926)、古泉千樫(1886~1927)ら文人、歌人が住み活躍した。
設置者: 文京区教育委員会
設置日: 平成13年3月 (「善光寺坂(文京区小石川)」より)]
「東京都立図書館アーカイブ – 東都小石川絵図」(絵図四つ切右上に澤蔵司、縁請(受)院(後の善光寺)が描かれています。)
「国際日本文化研究センター – (内題)東京府武蔵国小石川区小石川表町近傍(五千分一東京図測量原図のうち)(明治16・1883年)」(地図中央・伝通院右方向に慈眼院、縁受院が描かれています、その下の道が善光寺坂になります。)
マーカーは善光寺坂の坂上です。
善光寺坂上・カメラ東北東方向が善光寺坂です。
カメラ西方向が善光寺で、善光寺山門右に善光寺坂の案内板があります。
善光寺坂下・カメラ西南西方向が善光寺坂です。