[大日坂 小日向2-17と18の間
「・・・坂のなかばに大日の堂あればかくよべり。」(改撰江戸志)
この「大日堂、とは寛文年中(1661~73)に創建された天台宗覚王山妙足院の大日堂のことである。
坂名はこのことに由来するが、別名「八幡坂」については現在小日向神社に合祀されている田中八幡神社があったことによる。
この一円は寺町の感のする所である。
この町に遊びくらして三年居き
寺の墓やぶ深くなりたり 折口信夫(筆名・釈迢空1887~1953)
郷土愛をはぐくむ 文化財
東京都文京区教育委員会 平成元年3月 (「大日坂 小日向2-17と18の間 – Monumento(モニュメント)」より)]
[【別の標識の説明】(坂下部にある標識)
坂の名の由来は、坂の途中に大日堂があったことから呼ばれるようになったものであろう。堂のあるこの寺は天台宗で、覚王山妙足院と号し、開祖は清?善尼上人(紀州徳川家の奥女)で、堂廟の創立は寛文2年(1662)といわれている。その後何度かは火災にあったので、堂は現在に至っていないが、坂の北の方の道造り?は妙足院で施工したと伝えられる。小日向の名の由来については、古く鶴高日向という人の領地だったが絶家した後、「古日向があと」といっていたものが、いつか「こひなた」と呼ばれるようになったのであろうと、『御府内備考』では述べている。 (「文京区の坂(10)~小日向方面」より)]
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 小日向絵図」(絵図下右方向・水道町下に大日坂が描かれています。)
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 音羽絵図」(絵図四つ切右下・久世大和守下屋敷右に大日坂が描かれています。)
「国際日本文化研究センター – (内題)東京府武蔵国小石川区小日向水道町近傍(五千分一東京図測量原図のうち)(明治16・1883年)」(地図四つ切左下・陸軍福病院右下道に大日坂と記述されています。)
マーカーは大日坂の坂上です。
大日向坂上・カメラ南南東方向が大日坂です。
カメラ東北東方向に大日坂の標識板があります。
大日坂下・カメラ北方向が大日坂です。