[小布施坂(こぶせざか)
江戸時代、鳥羽藩主稲垣摂津守の下屋敷と、その西にあった岩槻藩主大岡主膳正の下屋敷の境の野良道を、宝暦11年(1761)に新道として開いた。その道がこの坂である。坂の名は、明治時代に株式の仲買で財をなした小布施新三郎という人の屋敷がこのあたり一帯にあったので、この人の名がとられた。古い坂であるが、その名は明治のものである。
-郷土愛をはぐくむ文化財-
東京都文京区教育委員会
昭和63年3月 (「小布施坂(こぶせざか)案内板」画像より)]
※稲垣摂津守と大岡主膳正の下屋敷とは東側の豊坂になるのではないかと思います。
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 音羽絵図」(絵図中央左方向に大岡主膳正下屋敷が描かれています。この敷地内に小布施坂があることになります。)
マーカー小布施坂の坂上です。
小布施坂上・カメラ西南西方向が小布施坂です。
小布施坂下・カメラ北北東方向が小布施坂です。