[ 堀坂(宮内坂・源三坂)
小石川二丁目3と21の間
「堀坂は中富坂町の西より東の方、即ち餌差町に下る坂をいふ。もと其の北側に堀内蔵助(2300石)の邸ありしに因れり。今坂の中途に”ほりさか”と仮字にてしるしたる石標あり。此坂は従来宮内坂又は源三坂と唱へたるものにて。堀坂といへるは其後の称なりといふ」(『新撰東京名所図会』)
この場所の北側に旗本堀家の分家利直(後に利尚、通称宮内)の屋敷があったことから、この坂は別名「宮内坂」と名づけられた。また、当地の名主鎌田源三の名から「源三坂」ともいわれた。「堀坂」という名称は、文政(1818~30)の頃、堀家が坂の修理をして「ほりさか」と刻んだ石標を建てたことからいわれるようになった。
坂下に“こんにゃくえんま”の伝説で名高い「源覚寺」がある。
-郷土愛をはぐくむ文化財-
平成16年3月
文京区教育委員会 (「堀坂(宮内坂・源三坂) – Monumento(モニュメント)」より)]
「東京都立図書館 – 東都小石川絵図」(絵図四つ切右下・堀内蔵助下にホリ坂と描かれています。)
「国際日本文化研究センター – (内題)東京府武蔵国小石川区小石川表町近傍(五千分一東京図測量原図のうち)(明治16・1883年)」(地図四つ切右下・小石川中富坂町にかかる道が、掘坂になります。)
マーカーは掘坂の坂上です。
堀坂上・カメラ東方向が掘坂です。
カメラ北北西方向に掘坂の標識板があります。
堀坂下・カメラ西北西方向が掘坂です。