暗闇坂

[【標識の説明】
江戸時代は、加賀屋敷北裏側と片側寺町の間の坂で、樹木の生い茂った薄暗い寂しい坂であったのであろう。江戸の庶民は、単純明快にこのような坂を暗闇坂と名づけた。23区内で同名の坂は12か所ほどある。区内では、白山5丁目の京華女子中学高等学校の裏側にもある。この坂の東側鹿野氏邸(弥生2-4-1)の塀に、挿絵画家、高畠華宵の記念碑がはめこまれている。華宵は、晩年鹿野氏の行為でこの邸内で療養中、昭和41年7月に亡くなった。大正から昭和にかけて、優艶で可憐な画風で若い人たちの大きな共感を呼んだ。  (「文京区の坂(5) ~ 弥生・根津方面」より)]

[1894年(明治27年)から1895年(明治28年)にかけて言問通りが本郷通りまで延長され、向ヶ丘弥生町を南北2つに分けるように坂道「弥生坂」が開削された。  (「弥生_(文京区)」より)]

日文研所蔵地図 – (内題)東京府武蔵国本郷区本郷元富士町近傍(五千分一東京図測量原図のうち)明治16(1883)」(地図中央上・東京共同射的会社と文部省用地の境界に、言問通り(弥生坂)開削後、道ができ、その道が暗闇坂と呼ばれることになります。)

今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部  谷 謙二(人文地理学研究室) – 首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。1896~1909年地図・帝国大学の右上に暗闇坂が描かれています。)

今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部  谷 謙二(人文地理学研究室) – 首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。1896~1909年地図で帝国大学上に新たな道が描かれています。

マーカーは暗闇坂の坂上です。

暗闇坂 – Google Map 画像リンク

暗闇坂上・カメラ東南東方向が暗闇坂です。

カメラ北北東方向が弥生美術館竹下夢二美術館です。

暗闇坂の標識板

暗闇坂下・カメラ西北西方向が暗闇坂です。

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