[【標識の説明】
根津神社の裏門前を、根津の谷から本郷通りに上る坂道である。
根津神社(根津権現)の現在の社殿は、宝永3年(1706)五代将軍徳川綱吉によって、世継ぎの綱豊(六代徳川家宣)の産土神として創建された。形式は権現造、規模も大きく華麗で、国の重要文化財である。
坂上の日本医科大学の西横を曲がった同大学同窓会館の地に、夏目漱石の住んだ家(“猫の家”があった。『我輩は猫である』を書き、一躍文壇に出た記念すべき所である。(家は現在「明治村」に移築) (「文京区の坂(6) ~ 根津・千駄木・駒込方面」より)]
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 本郷湯島絵図」(絵図四つ切右下に根津権現が描かれています、その右道に此辺アケホノノ里ト云と記述されている道が根津裏門坂です。この道は日光御成道(旧岩槻街道)に現在の様に直線で接続していなく、途中折れて願行寺、西教寺の前を通り本郷の追分北側で接続しています。)
「国立国会図書館デジタルコレクション – 江戸絵図. 3号」(コマ番号2/6・絵図中央左下に根津権現が描かれています、その左の道が根津裏門坂になります。)
「今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷 謙二(人文地理学研究室) – 首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。根津裏門坂の道が現在のような形態になるのは、1965~1968年の地図からです。
マーカーは根津裏門坂の坂上です。
根津裏門坂上・カメラ東方向が根津裏門坂です。
カメラ南東方向が根津裏門で、門前に根津裏門坂の標識板があります。
カメラ南南東方向が根津神社北口門です。
根津裏門坂下・カメラ西方向が根津裏門坂です。