狸坂

[【標識の説明】
このあたりは、旧千駄木林町で、昔は千駄木山といって雑木林が多く坂上の一帯は、俗に「狸山」といわれていた。その狸山に上る坂なので狸坂と名づけられた。
 狸山の坂下は根津の谷で、昔は谷戸川(藍染川・現在暗渠)が流れて田んぼが開け、日暮里の台地と向かいあっている。この日暮里に諏方神社があり、8月27日の祭礼が終わっても、どこからともなく「里ばやし」が毎夜聞こえてきた。
 土地の人たちは、これを千駄木山の“天狗ばやし”“馬鹿ばやし”といって、狸山にすむ狸のしわざといい伝えてきた。民話にちなむおもしろい坂名である。  (「文京区の坂(6) ~ 根津・千駄木・駒込方面」より)]

[旧 駒込林町(こまごめはやしちょう)
(昭和40年までの町名)
 千駄木山(せんだぎやま)の内で、千駄木御林(せんだぎおはやし)といった地である。
 上野寛永寺(うえのかんえいじ)創建の後、この林地を同寺の寺領とし徳川家霊廟 用(とくがわけれいびょう)の薪材(まきざい)をとらせた。
 明治2年、分かれて1か町として、駒込千駄木林町(こまごめせんだぎはやしちょう)とした。
 同24年、元下駒込村(しもこまごめむら)の内、団子坂(だんござか)、上笹原(かみささはら)を併合した。
 同44年には千駄木をとり駒込林町と改称した。町内には、高村光雲(たかむらこううん)(彫刻家、1852~1934)、高村光太郎(たかむらこうたろう)(詩人;彫刻家、1883~1956)父子や、宮本百合子(みやもとゆりこ)(小説家、1899~1951)が住んでいた。
文京区  (「旧町名案内 旧駒込林町 (昭和40… – Monumento(モニュメント)」より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 根岸谷中辺絵図」(絵図四つ切右下・道潅山、佐竹右京太夫下屋敷の下二本の道の右側、藍染川より下方向が狸坂とおもわれます。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 江戸絵図. 3号」(コマ番号2/6・絵図四つ切左下に千駄木林が描かれています。コマ番号3/6絵図四つ切右下に千駄木林の左端が描かれています。その左上方向、佐竹右京太夫から延びる、右の二本の道の右側、藍染川より下方向が狸坂とおもわれます。)

マーカーは、狸坂の坂上です。

狸坂 – Google Map 画像リンク

狸坂上・カメラ東方向が狸坂で、カメラ方向右に狸坂の標識板があります。

狸坂下・カメラ西南西方向が狸坂です。

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