[【標識の説明】
このあたり一帯は、かつて伊達宇和島藩主の下屋敷であった。近くの区立大塚小学校地は、池を中心とした伊達屋敷の庭園部に相当すると伝えられる。明治時代を迎えて荒廃するが、「古木老樹がうっそうとしげり白鷺の集巣地となって日夜その鳴声になやまされたものである」とは土地の古老の話である。
この白鷺にみせられたアララギの歌人古泉千樫は、ここに毎日通いつめて白鷺を題材とした短歌をつくったといわれる。
明治末期の東京市区改正に伴う道路整備によって不忍通りの前身が伊達屋敷内を貫通したため往時をしのぶものもなく、そこにできたこの長い坂道にも坂名のないままであったが誰れいうとなく白鷺にちなんだ坂名が愛称となった。
大正から昭和にかけての人によってつけられた坂名といえる。
鷺の群 かずかぎりなき鷺の群
そうぜんとして寂しきものを 古泉千樫(1886-1927) (「文京区の坂(13) ~ 大塚・千石方面」より)]
マーカーは、白鷺坂の坂上です。
白鷺坂上・カメラ東南東方向が白鷺坂です。
白鷺坂下・カメラ南南西方向が白鷺坂です。