[藤坂(富士坂・禿坂)
小日向四丁目3と4の間
「藤坂は箪笥町より茗荷谷へ下る坂なり、藤寺のかたはらなればかくいへり、」(『改撰江戸志』)藤寺とは坂下の曹洞宗伝明寺である。
『東京名所図会』には、寺伝として「慶安三年寅年(1650)閏十月二十七日、三代将軍徳川家光は、牛込高田田辺御放鷹(鷹狩のこと)御成の時、帰りの道筋、この寺に立ち寄り、庭一面に藤のあるのを見て、これこそ藤寺なりと上意があり」との記事があり、藤寺と呼ぶようになった。
昔は、この坂から富士山が望まれたので、富士坂ともいわれた。
『続江戸砂子』に、「清水谷は小日向の谷なり。むかしここに清水が湧き出した」とある。また、ここの伝明寺には銘木の藤あり。一帯は湿地で、禿(河童)がいて、禿坂ともいわれた。
藤寺のみさかをゆけば清水谷
清水ながれて蕗の苔もゆ (金子薫園)
―郷土愛をはぐくむ文化財―
文京区教育委員会 平成11年3月 (「藤坂(富士坂・禿坂) – Monumento(モニュメント)」より)]
「東京都立図書館 – 上水北小日向小石川辺絵図」(絵図中央下・徳雲寺下にフチサカが描かれ、その左にフチタナアリ藤寺ト云 で傳明寺と描かれています。)
「国際日本文化研究センター – (内題)東京府武蔵国小石川区小日向水道町近傍(五千分一東京図測量原図のうち)(明治16・1883年)」(地図四つ切右上・深光寺右下に藤坂が描かれています。)
マーカーは藤坂の坂上です。
藤坂上・カメラ西南西方向が藤坂です。
藤坂下・カメラ北東方向が藤坂で、カメラ方向右に案内板があります。