[蛙坂(復坂)[かえるざか] 小日向一丁目23と25の間
「蛙坂は七間屋敷より清水谷へ下る坂なり、或は復坂ともかけり、そのゆへ詳[つまびらか]にせず」(改撰江戸志)
『御府内備考』には、坂の東の方はひどい湿地帯で蛙が池に集まり、また向かいの馬場六之助様御抱屋敷内に古池があって、ここにも蛙がいた。むかし、この坂で左右の蛙の合戦があったので、里俗に蛙坂とよぶようになったと伝えている。
なお、七間屋敷とは、切支丹屋敷を守る武士たちの組屋敷のことであり、この坂道は切支丹坂に通じている。
文京区教育委員会 平成12年3月 「標識の説明」]
「東京都立図書館アーカイブ – 東都小石川繪圖」(絵図四つ切左下・間宮庄五郎屋敷左にコノヘンヒケシヤシキト云と記述されている道が蛙坂と思われます。)
「国際日本文化研究センター – (内題)東京府武蔵国小石川区小日向水道町近傍(五千分一東京図測量原図のうち)(明治16・1883年)」(地図四つ切右上・妙照寺付近から深光寺に下る坂が蛙坂です。)
マーカーは蛙坂の坂上です。
蛙坂の坂下・カメラ北方向が蛙坂です。
蛙坂の坂下・カメラ南南西方向右に曲がる道が蛙坂です。