「坂の名は、坂下に豊川稲荷社があるところから名づけられた。江戸時代この一帯は、大岡主膳正の下屋敷で、明治になって開発された坂である。坂を下ると神田川にかかる豊橋があり、坂を上ると日本女子大学前に出る。目白台に住んだ大町桂月は『東京遊行記』に明治末期このあたりの路上風景を次のように述べている。「目白台に上れば、女子大学校程近し。さきに早稲田大学の辺りを通りける時、路上の行人はほとんど皆男の学生なりしが、ここでは海老茶袴をつけたる女学生ぞろぞろ来るをみるにつけ、云々」
坂下の神田川は井之頭池に源を発し、途中、善福寺川、妙正寺川を合わせて、流量を増し、区の南辺を経て、隅田川に注いでいる。江戸時代、今の大滝橋のあたりに大洗堰を築いて分水し、小日向台地の下を素堀で通し、江戸市民の飲料水とした。これが神田上水である。
設置者: 文京区教育委員会
設置日: 平成12年3月 (「豊坂(文京区目白台)」より)]
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 音羽絵図」(絵図中央左方向に大岡主膳正(岩槻藩)、稲垣摂津守(鳥羽藩)下屋敷が描かれています。稲垣摂津守下屋敷地が現在の日本女子大学になります。大岡主膳正、稲垣摂津守下屋敷の間に豊坂があることになります。)
マーカーは豊坂の坂上です。
豊坂上・カメラ南方向が豊坂です。
カメラ東東方向角、看板と電柱の間に豊坂の標識板があります。
豊坂下・カメラ北方向が豊坂です。